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札幌高等裁判所 昭和29年(ラ)16号 決定

抗告人 富永商事株式会社

訴訟代理人 百瀬武利

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

抗告代理人は、原決定を取消す、相手方の本件異議申立を却下する、との裁判を求め、その理由は別紙記載の通りである。

よつて調査するに、民事訴訟法第五五九条第三号によれば、公正証書が債務名義として執行力を有するためには、それが一定の金額の支払又は他の代替物若くは有価証券の一定の数量の給付を以つて目的とする請求について作成されたものでなければならないのである。つまり、そこに一定額の金銭等の給付を目的とする債権について、その発生原因たる事実を具体的に記載して、その債権を特定すべき事項が明確に表示されていなければ債務名義たる効力は無いのである。

しかるに記録中の甲第一号証(手形取引契約証書)写によれば、本件債務名義たる公正証書には抗告人主張の通りの記載があるが、この条項を検討すると、それは要するに申立外札幌信用組合(承継前債権者)が債務者たる相手方外三名振出の約束手形に依つて同人等に対し将来金額三十万円を限度として金員の貸付をなすべきこと及びその際の利息、弁済期ならびにその他の附随の契約内容を記載したにすぎないのである。而して此の様な内容の契約によつては単に当事者間に将来その記載の如き内容の消費貸借をなすべき権利義務が生ずるのみで、この契約によつて直ちに一定の金額の消費貸借が成立したものとすることは出来ないのであつて一定金額の給付を目的とする債権の発生は後日の行為にかかつているのである。従つて本件公正証書は、金銭の支払を目的とする特定の具体的な請求を明確に表示するものと言い得ないから、債務名義としての形式的要件を欠くと言わざるを得ないのである。

なお、本件公正証書の契約条項第十一条には抗告人主張の如き文言の記載があるがこの様な記載があつても、この証書によつては債権の発生自体が明確でなくこれを特定すべき具体的な事項が明確に表示されていないことに変りはないからやはり債務名義たるべき要件を欠くものと言わなければならない。

されば本件公正証書は債務名義として無効であつて執行力を有しないこと明かであるから、以上と同一の理由で相手方の本件異議申立を認容した原決定は正当である。

よつて民事訴訟法第四百十四条第三百八十四条第九十五条第八十九条を適用して主文の通り決定する。

(裁判長裁判官 臼居直道 裁判官 宇野茂夫 裁判官 松永信和)

抗告の理由

一、本件公正証書の内容は原決定に相手方(原審異議申立人)の主張として摘示されている様な単純なものではなく其の真の内容は次の通りである。

第壱条 札幌信用組合(以下債権者と称ス)ハ才賀静夫、株式会社北海写真新聞社、長峰弘三、一島源幸(以下連帯債務者ト称ス)四名共同振出ニ係ル約束手形ニ依リ連帯債務者ニ対シ金参拾万円也ヲ極度トシテ金員ノ貸付ヲ為スコトヲ約諾シタリ

第弍条 前条ニ依リ債務者カ振出スベキ手形ノ満期日ハ該手形ノ振出日ヨリ九拾日以内トシ且前条ノ契約期限後ニ亘ラサルモノトス

第参条 利息ハ百円ニ付壱日金五銭ノ割合トス但高低アルトキハ債権者ノ指定ニ従フモノトス

第四条 本契約ニ基ク手形金及利息其他金円ノ支払場所ハ債権者ノ営業所トス

第五条 債権者ハ左ノ場合ニ於テハ債務者ニ対シ特ニ通知催告ヲ要セスシテ直ニ期限ノ利益ヲ失ハシメ手形期限ニ拘ラス債務ヲ完済セシムルコトヲ得ルモノトス

一 債務者ニ於テ本契約ノ条項ニ違反シ其ノ他背信ノ行為アリタルトキ

一 債務者カ第三者ヨリ仮処分仮差押又ハ強制執行ヲ開始セラレタルトキ

一 債権者ニ通知セスシテ他ノ地方ニ転居シタルトキ

一 身分ヲ変更シタルトキ

一 抵当物件ニ付債權担保ノ支障トナルヘキ瑕疵ヲ発見シタルトキ

一 債権者ニ於テ債権侵害ノ行為アリト認メタルトキ

第六条 債権者ハ必要ト認ムルトキハ取引期間ニ拘ラス新ナル貸付ヲ拒絶シ若クハ第壱条記載ノ極度ヲ減少シ又ハ本契約ヲ解除スルコトヲ得ルモノトス

第七条 債務者ハ本契約ニ基ク借用金ノ元利金弁済期日ニ於テ之カ支払ヲ為ササルトキ又ハ本契約ニ依リ期限ノ利益ヲ失ヒタル為債権者カ支払期日ヲ指定シタル場合ニ於テ債務ノ弁済ヲ為ササルトキハ其ノ期日ノ翌日ヨリ弁済当日迄弁済スヘキ金額ニ対シ金百円ニ付壱日金六銭ノ割合ニ当ル遅滞利息ヲ支払フヘキモノトス

但シ第参条但シ書ノ定メニヨリ利息ニ高低アルトキハ此ノ遅延利息ノ率モ又債権者ノ定メダル割合ニ依ルモノトス

第八条 債務者ハ手形トシテノ要件ヲ欠キ又ハ法律上権利保全ノ手続ヲ欠キタル場合ト雖モ本契約ノ義務履行ヲ承諾ス

第九条 手形期日ニ支払ヲ為ササルトキハ価格方法等債権者ノ便宜ヲ以テ担保物件処分ノ上其ノ代金ヲ以テ手形金延滞利息其ノ他ノ損害金ニ充当シ若シ不足ヲ生シタルトキハ債権者ノ要求次第弁済スヘク右ノ場合ニ於テ債権者ニ債務者ノ債権ニ属スル金員アルトキハ振替入金セラルルモ異議ナキモノトス

第拾条 担保物件ノ価格減少スルカ又ハ他ヨリ故障等ノ申立アリタル場合ハ債権者ノ選択ニ従ヒ内入金又は補充担保ヲ提供スヘク若シ履行セサルトキハ前条同様ノ処分ヲ受クルモ異議ナキモノトス

第拾壱条 本契約ニ依ル債務不履行ノ場合ハ債務者ハ債権者ニ対シ金参拾万円ヲ以テ債務金トシ即時弁済スヘキコトヲ特約シタリ

第拾弐条 債務者ハ連帯責任ヲ以テ債権者ニ対スル義務ヲ履行スルモノトス

第拾参条 債務者本契約ニ違反シ義務不履行ノ場合ハ抵当物件ノ処分ニ先チ他ノ財産ニ対シ此ノ公正証書ニ基キ直ニ強制執行ヲ受クルモ異議ナキコトヲ認諾シタリ

第拾五条 債務者ハ本債務ノ担保トシテ別紙目録記載ノ物件ヲ債権者ニ提供シタリ

担保物件の表示

一、活字一式 六〇〇、〇〇〇本 一、活字脚   五台

一、弍号五号 インテル込物一式 一、ケース   弍〇〇枚

一、植字台  弍台       一、其他附属品 弍拾四点

一、大組台  弍台

右公正証書に基いて札幌信用組合は相手方一島源幸外三名の共同振出に係る約束手形三枚額面計金三十万円也により右一島等を連帯債務者として同人等に対し金三十万円也を貸付けて手形を取得したところ弁済を得ることが出来なかつた。用語並表現の方法に不十分な点はあるが本件公正証書は其の第一条に於て約束手形による貸付金の極度額を金三十万円也と定め其の第十一条に於て債務不履行の場合には債務者は債権者に対し金三十万円を以つて債務金として即時弁済すべきことを特約している。相手方一島等は金三十万円也を借受けたればこそ此の特約に応したことを認め得る。此の特約あるが故に本件公正証書は其の記載自体によつて金三十万円也の支払を目的とする請求について作成されたものであることを認め得る。此の特約は本件公正証書が民事訴訟法第五五九条所定の債務名義となり得る最低限度の必要をみたしている。此の特約は表現の方法が適切でないだけで「債務者は債権者に対して金三十万円を支払うこと」の意である。理論的には判決と雖終局の債務額を記載することは不可能である。判決言渡前に全部又は一部の弁済ということもあり得るからである。原決定は本件公正証書の第十一条を攻撃し同条の三十万円という金額が終局の債務額となるという趣旨とは解し難い旨を説示しているが右は無意味にして且取越し苦労である。判決と雖一応の最高額を示したのみで終局の債務額を示したものではない。若し相手方一島等に於て本件債務の存否を争う場合には請求異議の訴を以てすべきである。相手方一島等は本件公正証書の成立を認め且約束手形を振出して金三十万円也を借受けたことを認めながら差押を受くるや一旦締結した本件公正証書第十一条所定の特約を悪用して本件の如く執行文付与に対する異議をなしたのである。右は訴訟権の濫用であり社会正義に反するものであるから之を許すことは出来ない。本件公正証書に付与された執行文は適法であり又右執行文に基いてなされた強制執行はもちろん許さるべきである。原決定は間違つているので抗告を申立てます。

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